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VOL 12  ぬくもりの椅子

ちょうどCAFE VALOのリ・オープンから一年が経った頃
利便性を考え、店から程よい距離に新しい住まいを見つけ、引越しをした。

そこは、以前よりも若干小さな間取りであったので
快適生活の為に僕達夫婦に課せられたミッションは
持ち物を極端に減らし生活をスリム化する事であった。

そうは言ってもVALO新店舗の計画段階から
「LESS is MORE」(少ない事はより豊かな事)をコンセプトに掲げていた僕達にとって
自分達の暮らしぶりもシンプルにしていく事は、とりたてて大変なことではなく
むしろ必然的な流れであったような気がする。

必要で無くなったモノはもちろん、使わずにただ持ち続けていたモノ
いつの日か使うだろうとずっと取ってあったモノ(結局は使っていないのだ)などを
片っ端から処分していくと、体重ならぬ家の重さが軽くなり
僕達のフットワークまで、良くなった感じがした。

部屋の隅々にまで心地いい風が吹きわたり、今まで停滞していた物事が
一斉に動きだし循環していくような、とてもすっきりして清々しい気持ちになったのである。

モノを少なくシンプルに暮らすと、部屋の中にでっこみひっこみが無くなり
隠れて見えない部分も減ってくるので掃除がとてもしやすい。
家の中全体を、いつもさっと見渡すことができて秩序を保つにはとても効果的である。
何か僕達の混沌とした部分が一掃され、新しくつくられた心のリビングに
本当に大切なモノだけが、ポンッポンッと的確に配置されたような気がした。
モノを捨てシンプルに暮らすことによって得られたこの意識は、とても有益であった。

「全てを手に入れることは何も無いことと同じである。
新しいものがきっとまた欲しくなるから」
そんな言葉を思い出した。

人はきっとシンプルに暮らしたいと潜在的には願っているはずである。
物質的なことではなく心が豊かになれば、幸せの本当の意味を知ることが
出来るのかもしれない。

まだまだ現在進行形であるこの片付けなのだが、ここのところ思うことがある。
それは、必要のないものとサヨナラすると本当に大切なものが
そっとやって来るのではないだろうか。
そう、その椅子も驚くほど自然にそして優しく僕の心のリビングにやってきた。

それは今夏の始まりの頃だった。
25年以上使っていたリビングソファがいよいよ駄目で、夜毎マウスをカチカチやりながら
お気に入りを探していた時のことだった。

その椅子をはじめて見たとき、僕の中に強烈なイメージが突き刺さった。
それは、生後間もない野生の小鹿が健気にその四肢を大地にふんばり
震えながらも、ついには自力で立ち上がった様である。
その小さくも美しい野生の力強い立ち姿。
僕にとってその椅子の佇まいは、まさにそれであった。
VOL  12  ぬくもりの椅子_e0159392_2125542.jpg

デンマーク フレデリシア社 J-49チェア デザイン ボーエ・モーエンセン

何と!モーエンセンの椅子だったのである。
どうも2012年にこの椅子の復刻生産がはじめられたようだ。
ボーエ・モーエンセン、デンマーク王立芸術アカデミーで家具作りを学ぶ。
アカデミーでは当時家具デザインの教授であったコーア・クリントに師事。
20歳で家具職人としてマイスターとなる。
その才能を認めたコーア・クリントは、自身の後継者に彼をと考えていた程である。
1942年FDB(デンマーク生活協同組合連合)の家具部門責任者となり
その後の1947年、ドイツ占領下の貧しい時代にもローコストで製作可能な椅子
J-39チェアを生みだす。
アメリカのシェーカー家具をリ・デザインしたこのシンプルな椅子は、現在も人気であり
デンマークのそこかしこで見る事ができるベストセラーである。
ひょっとすると、親友であるハンス・J・ウェグナーの名作 Yチェアよりも
人々の生活に密着している椅子なのかもしれない。

さて、このJ-49チェア、デザインは1944年。
この年、先のFDBが革新的なコンセプトショップをデンマークに開いた。
その店内には、第二次大戦下である当時のアパートの一室に
簡素な家具や調度品を配置した、ショールームが作られていた。
物資も乏しく戦禍の中で懸命に生きる人々。
つつましい日々の暮らしの中にも、食卓を囲み家族と過ごす安らぎのひと時。
そんな小さな幸せを一人でも多くの人が享受できるよう、彼は簡素で安価でありながらも
質の高い家具をデザインした。
そう、そのショールームに展示された椅子こそJ-49チェアだったのである。

イギリスのウィンザーチェアをリ・デザインしたこの椅子は、彼のお気に入りの木であり
デンマークでは家具材としてポピュラーでありローコストなビーチ材が使われた。
少し高さのあるスポークバックにプライされた板座面はとてもシンプル。
デコラティヴであるウィンザーをスッキリさせたデザインである。
脚の貫部分の裏側にはBorge・Mogensen by FREDERICIAの刻印がある。
仕上げはuntreated(無塗装)の他ペイントモデル(黒、白)とクリアラッカーの
バリエーションがある。
それでもこの椅子は無塗装モデルをあえて選びたい。
往時のデンマークの人々がそうであったように。

普通の人々の普通の暮らしと共にあったであろうJ-49。
喜びや悲しみ、出会い、別れ。
ドラマティックな人生のステージひとつひとつにそっと寄り添い
時の経過とともに色を変え歴史を刻みながら生きていく椅子は
大切な家族の一員であったはずである。
モーエンセンの優しさと温かな心を形にしたぬくもりの椅子であるからこそ
人々はJ-49を深い愛情を持って迎え入れたのだろう。
そんな事を想いながら、僕はこの椅子を「いつの日か我家にも」と心に決めたのだった。

暑かった夏がようやく落ち着きを見せ始め、吹く風がほんのり秋めいてきた9月。
VALOで「週末だけの小さな北欧展」と題した小さな企画展を行った。
これはVALOの人気企画「週末のミニミニ講座」のスペシャル版として
ずっと温めてきたものだった。
北欧愛好家であり、とりわけハンス・J・ウェグナーの椅子をこよなく愛する
常連のお客様の協力を得て、コレクションの中から厳選した工芸品の数々とウェグナーの
名作椅子を数脚展示した。
会期3日間という小さな展覧会であったにもかかわらず、多くのお客様にご来店頂き
とても有意義かつ素晴らしい時間を共有することが出来たのだった。

その時のVALOには遥か太古の森や湖を越えて吹き渡る
スカンジナビアの風が届いていたのではないだろうか。
その風に乗ってやってきた森の精霊や妖精が、僕達に魔法をかけていったに違いない。
もちろん北欧の逸品達が一堂に会した空間には、それらを生みだしたデザイナーや
マイスター達の芸術的なパワーが満ち溢れていた。
それら2つの力は僕達に速やかに作用した。
僕達にとってのJ-49との「いつの日か」は、比較的早く訪れてしまったのである。

秋が終わりを告げる頃、2脚のJ-49が我家にやってきた。
それはまさしく人と人との温かな心の通いあい
とりまく事象の素晴らしき巡り合わせがもたらしてくれた
「小さな幸せ」と言えるものであった。

本当に大切なモノ事というのはいつもそっとやって来る。
それが必要である時に。

僕は今この原稿をJ-49に座って書いている。

明日は雪になりそうだ。
凛とした夜の冷気が足元から這い上がってくる。
予報によると今年の冬は寒い冬になるらしい。

凍える夜、素顔のままのぬくもりの椅子は、ほんのりと暖かく僕を包み込んだ。

その時僕は、
モーエンセンの優しさを、確かに受け取った。
そんな気がしたのだった。
by cafevalo | 2013-12-11 23:45 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)

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