カテゴリ:モノ物語り( 17 )

僕が生まれ育った町には、全長100m程のポプラ並木の通りがあった。
他にもケヤキやクスノキ、プラタナスやヤナギなど
街路樹が植えられた通りがいくつもあったのだが
僕はポプラの通りがいちばん好きだった。
そのポプラはイタリアンポプラで、空高く聳え立つ樹形はとても大陸的な感じがした。
少年の僕は、ポプラの並木通りを歩きながら
まだ見ぬ遠い異国の風景を、夢想するのが好きだった。

春、ポプラは花の時期を終えると、ふんわりとした綿毛を作り種子をつける。
それを風にのせて遠くまで飛ばすのだ。
アメリカではコットンウッドと呼ばれるように
その季節ポプラ通りは白い綿毛で埋めつくされる。

夏休みになると、しばしばポプラ通りに昆虫観察(採集)に出かけた。
早朝にはセミの羽化をよく見ることができた。
大木のポプラはセミ達のお気に入りなのだ。
夜は、通りの街灯に集まるコガネムシなどの甲虫を採集した。
時々、クワガタやカブトもやってきて、うれしい夜もあった。
主役から脇役、成虫から幼虫まで様々な虫達が、ポプラの恩恵を受け生きていた。
ポプラ通りは、昆虫好きの僕にはうってつけの場所だった。

紅葉の季節、通りは見事なまでの黄金色に染まる。
夏の喧騒が去った並木道は、冬に備えちょっと一休みしている。
高く青い空、流れゆく白い雲、風に吹かれるポプラの黄金色の葉。
秋のひと日、その三位一体をぼんやりと見ているのが好きだった。

ポプラの木の仲間は、葉が風を受けるとパタパタとさやめき
互いに触れ合って音を出す。
ポプラの学名であるPopulusは「震える」という意味だそうだ。
北アメリカではアスペン、日本だとヤマナラシの木がそうである。
ザザ~、パタパタパタ。
一陣の風が並木や森を吹き抜けると、あたかもそこに何かがいるような
大きな声(音)が聞こえる。
なるほど、ヤマナラシは漢字だと「山鳴らし」と書くのもうなずける。
一人で森を歩いていたりすると、正直ちょっと怖い時もある。
でも、僕はその音が風の声に聞こえてならない。
ポプラの葉をして、風が何かを語りかけているような気がするのだ。

♪君が涙の時には、僕はポプラの枝になる。
                1994 空と君のあいだに 中島みゆき

昔大ヒットしたTVドラマ、「家なき子」の主題歌として書かれたこの曲。
歌詞はドラマストーリーに即し、主人公とその愛犬をモチーフにしている。
多くの人は、サビ部分に気持ちが入っていくかもしれないけれど
ポプラ好きの僕は、最初のこのフレーズがグッと刺さってしまったのだ。
―ポプラの枝になる―ん~スバラシイ!北海道出身の彼女だからこそのリリック。
ポプラの木がとても身近であるのはもちろんだけど、
流石みゆきネエサンっ、風とポプラの関係性をよくご存じ!と思えてならない。
彼女自身も、風にさやめくポプラの葉音に、辛いことや悲しいことを
かき消してもらったことがあったのかも?なぁんて思ってみたりした。
きっと彼女もポプラの木が好きなのだろう。

今年も、梓川での漁期が幕をあけた。
梓川の川岸には、大木から小さな若木まで、様々なポプラの木が自生している。
新緑の頃になると、ポプラは白い綿毛を風にのせ、いっせいに飛ばす。
川面を無数のコットンパフが漂い流れていくさまは、とても優雅で美しい。
釣りをしながら川岸を行くと、時々それは見事な一本に出合う時がある。
そんな時僕は立ちどまり、そっとポプラに触れてみる。
そして、風にさやめく葉音を通し聞こえくる、風の声に耳を傾ける。

―ポプラは、風と友達のやさしい木に違いない。

遠いあの日に感じたこの想いは、今も変わることなく
僕の心の中にたしかにあるのだった。

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オリジナルは若干アップテンポなので
今回はシットリ聴かせる絢香のカバーをどうぞ^^








CAFEVALO
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by cafevalo | 2016-04-21 19:30 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)

VOL 14  MINIMAL SEVEN

    0から9までの数字の中で、ひとつ選ぶとしたら
    あなたはどの数字を選びますか。
    世にラッキー7といわれる「7」。末広がりで縁起が良いとされる「8」
    中国では最強といわれる「9」などなど。

    僕は、しいて言えば「2」、「3」、「4」あたりかな。

    ま、数字にはそんなに拘りはないのですが
    僕が想い焦がれて好きになってしまう物・事には
    どうも共通する数字があるようで・・・。

    それは、「7」。

    ウルトラシリーズでは「ウルトラセブン」がダントツ。
    イアン・フレミングの「007ジェームズ・ボンド」でしょ^^
    VALOのカウンター席で使っている椅子「セブンチェア」。
    このヤコブセンの傑作は、店内インテリアのデザインモティーフでしたからね。

    そして、このスピーカーの登場となるわけです。
    前振りが長くてスミマセン。
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    ALTEC “The Voice of the Theatre” MINI 7

    実は、このちっちゃなスピーカー
    ALTEC社が誇る劇場用スピーカーの名機
    “ザ・ヴォイス・オブ・ザ・シアター”A7の構造を
    全くそのままにミニチュア化した、正真正銘のミニA7なのです!
    パパであるA7に採用された、この独特なエンクロージャーの形状は
    フロントホーン・エンクロージャー形式といわれ、音響負荷がユニットの前後に
    均一に掛かるシステム。
    その実績は世界中の劇場や映画館、講堂などで
    堂々たる音形を響かせています。

    高校1年の時、オーディオにかぶれていた僕は、当時愛読していた
    FMレコパルという雑誌の中で、とある喫茶店のオーナーが
    店内でMINI 7を使っている旨の記事を読み、そのミニマルなスタイルに一目惚れ
    何とか地元で手に入れられないかと探していたところ
    当時、学校帰りに通っていた関西電波(今のK’sデンキ)の
    ハイエンドオーディオコーナーで、運命の出会いをしてしまったのでした。
    それから33年の時は経ち、たび重なる引越と僕の管理不行き届きもあって
    カワイイ直径12㎝の、シングルコーンユニット405-8Bは
    亀裂が入りボロボロに(涙)あ~何とか復活させたいなぁ~。
    どなたかドライバーだけでもお持ちの方いらしゃいませんか。
    お願い致しまする、プリ~ズ(礼)

    PS 僕の記憶が確かなら、ALTEC A7は塩尻市総合文化センターの講堂に
       でーんと吊るしてあったと思います(巨大ですよ)
       以前、建築家の中村好文さんの講演を聞きに行った時だったかな。
       「あっ!A7だっ!!」って感動しちゃったのを憶えてるから。
       間違ってたらゴメンナサイ。
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by cafevalo | 2015-03-04 19:50 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)

VOL 13  入魂、再び。

          ドック入りさせていたABUのスピニングリール(復刻カーディナル33)が
          修理を終え我家に帰ってきました。
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          このリールを車で例えると、最新のディバイスなど皆無の
          クラッシックカー。
          故にヒューマンな温かみと、「自分の手に負える」範疇を
          決して逸脱しない謙虚さのようなものがあり
          ルアー釣りを始めた頃の、ピュアな気持ちを
          いつまでも、忘れさせない力があるような気がします。
          クラシカルなフォルムも相まって根強いファンも多く
          今なお限定で復刻モデルが発売されるほど人気のリールなのです。

          数年前の梓川釣行で、転倒した釣師(・・・僕です)の手首をかばい
          相当の深手を負ってしまった僕のカーディナル。
          実はカミさんのレコードである57cmのレインボーをはじめ
          梓川で数々の大物を仕留めてきた、いわば歴戦の勇士。
          熟考の末、僕は彼を修理することなく、最高の敬意を払い
          「お疲れさまでした」と殿堂入りを決意したのです。
          ところが、今年のGW前あたりからなぜかカーディナルの事が
          気になり始め、そんな時に限ってYou tubeで視聴する釣りの動画にも
          頻繁に登場したりするものだから困ったものです。

          「わしゃまだまだ現役じゃぞっ!!」
          そんな彼の声が聞こえたような気がして・・・。

          それならばと一念発起、修理に出したのでした。
          その際必要であるABUのギャランティカードを見てびっくり
          購入年月日の欄には1994年6月18日と記されています。
          何と今月の18日で20周年を迎える、正に記念すべき時だったのです。
      
          な~るほど^^

          道具も長いつきあいになると、心が通い合ってくるものなのですね。
         
          という訳で、早速昨日ブローニングのグラスロッドにセットして
          (こちらはさらにオールドソルジャー)
          仕込み終了後にちょこっと出掛けてきました。

          結果は?
          1fish、1バラシ、1ロスト・・・微妙。

          でも、何とか1fishできたので、再入魂完了ということでいいですよね

          ねっ?御大。
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by cafevalo | 2014-06-13 23:53 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)

VOL 12  ぬくもりの椅子

ちょうどCAFE VALOのリ・オープンから一年が経った頃
利便性を考え、店から程よい距離に新しい住まいを見つけ、引越しをした。

そこは、以前よりも若干小さな間取りであったので
快適生活の為に僕達夫婦に課せられたミッションは
持ち物を極端に減らし生活をスリム化する事であった。

そうは言ってもVALO新店舗の計画段階から
「LESS is MORE」(少ない事はより豊かな事)をコンセプトに掲げていた僕達にとって
自分達の暮らしぶりもシンプルにしていく事は、とりたてて大変なことではなく
むしろ必然的な流れであったような気がする。

必要で無くなったモノはもちろん、使わずにただ持ち続けていたモノ
いつの日か使うだろうとずっと取ってあったモノ(結局は使っていないのだ)などを
片っ端から処分していくと、体重ならぬ家の重さが軽くなり
僕達のフットワークまで、良くなった感じがした。

部屋の隅々にまで心地いい風が吹きわたり、今まで停滞していた物事が
一斉に動きだし循環していくような、とてもすっきりして清々しい気持ちになったのである。

モノを少なくシンプルに暮らすと、部屋の中にでっこみひっこみが無くなり
隠れて見えない部分も減ってくるので掃除がとてもしやすい。
家の中全体を、いつもさっと見渡すことができて秩序を保つにはとても効果的である。
何か僕達の混沌とした部分が一掃され、新しくつくられた心のリビングに
本当に大切なモノだけが、ポンッポンッと的確に配置されたような気がした。
モノを捨てシンプルに暮らすことによって得られたこの意識は、とても有益であった。

「全てを手に入れることは何も無いことと同じである。
新しいものがきっとまた欲しくなるから」
そんな言葉を思い出した。

人はきっとシンプルに暮らしたいと潜在的には願っているはずである。
物質的なことではなく心が豊かになれば、幸せの本当の意味を知ることが
出来るのかもしれない。

まだまだ現在進行形であるこの片付けなのだが、ここのところ思うことがある。
それは、必要のないものとサヨナラすると本当に大切なものが
そっとやって来るのではないだろうか。
そう、その椅子も驚くほど自然にそして優しく僕の心のリビングにやってきた。

それは今夏の始まりの頃だった。
25年以上使っていたリビングソファがいよいよ駄目で、夜毎マウスをカチカチやりながら
お気に入りを探していた時のことだった。

その椅子をはじめて見たとき、僕の中に強烈なイメージが突き刺さった。
それは、生後間もない野生の小鹿が健気にその四肢を大地にふんばり
震えながらも、ついには自力で立ち上がった様である。
その小さくも美しい野生の力強い立ち姿。
僕にとってその椅子の佇まいは、まさにそれであった。
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デンマーク フレデリシア社 J-49チェア デザイン ボーエ・モーエンセン

何と!モーエンセンの椅子だったのである。
どうも2012年にこの椅子の復刻生産がはじめられたようだ。
ボーエ・モーエンセン、デンマーク王立芸術アカデミーで家具作りを学ぶ。
アカデミーでは当時家具デザインの教授であったコーア・クリントに師事。
20歳で家具職人としてマイスターとなる。
その才能を認めたコーア・クリントは、自身の後継者に彼をと考えていた程である。
1942年FDB(デンマーク生活協同組合連合)の家具部門責任者となり
その後の1947年、ドイツ占領下の貧しい時代にもローコストで製作可能な椅子
J-39チェアを生みだす。
アメリカのシェーカー家具をリ・デザインしたこのシンプルな椅子は、現在も人気であり
デンマークのそこかしこで見る事ができるベストセラーである。
ひょっとすると、親友であるハンス・J・ウェグナーの名作 Yチェアよりも
人々の生活に密着している椅子なのかもしれない。

さて、このJ-49チェア、デザインは1944年。
この年、先のFDBが革新的なコンセプトショップをデンマークに開いた。
その店内には、第二次大戦下である当時のアパートの一室に
簡素な家具や調度品を配置した、ショールームが作られていた。
物資も乏しく戦禍の中で懸命に生きる人々。
つつましい日々の暮らしの中にも、食卓を囲み家族と過ごす安らぎのひと時。
そんな小さな幸せを一人でも多くの人が享受できるよう、彼は簡素で安価でありながらも
質の高い家具をデザインした。
そう、そのショールームに展示された椅子こそJ-49チェアだったのである。

イギリスのウィンザーチェアをリ・デザインしたこの椅子は、彼のお気に入りの木であり
デンマークでは家具材としてポピュラーでありローコストなビーチ材が使われた。
少し高さのあるスポークバックにプライされた板座面はとてもシンプル。
デコラティヴであるウィンザーをスッキリさせたデザインである。
脚の貫部分の裏側にはBorge・Mogensen by FREDERICIAの刻印がある。
仕上げはuntreated(無塗装)の他ペイントモデル(黒、白)とクリアラッカーの
バリエーションがある。
それでもこの椅子は無塗装モデルをあえて選びたい。
往時のデンマークの人々がそうであったように。

普通の人々の普通の暮らしと共にあったであろうJ-49。
喜びや悲しみ、出会い、別れ。
ドラマティックな人生のステージひとつひとつにそっと寄り添い
時の経過とともに色を変え歴史を刻みながら生きていく椅子は
大切な家族の一員であったはずである。
モーエンセンの優しさと温かな心を形にしたぬくもりの椅子であるからこそ
人々はJ-49を深い愛情を持って迎え入れたのだろう。
そんな事を想いながら、僕はこの椅子を「いつの日か我家にも」と心に決めたのだった。

暑かった夏がようやく落ち着きを見せ始め、吹く風がほんのり秋めいてきた9月。
VALOで「週末だけの小さな北欧展」と題した小さな企画展を行った。
これはVALOの人気企画「週末のミニミニ講座」のスペシャル版として
ずっと温めてきたものだった。
北欧愛好家であり、とりわけハンス・J・ウェグナーの椅子をこよなく愛する
常連のお客様の協力を得て、コレクションの中から厳選した工芸品の数々とウェグナーの
名作椅子を数脚展示した。
会期3日間という小さな展覧会であったにもかかわらず、多くのお客様にご来店頂き
とても有意義かつ素晴らしい時間を共有することが出来たのだった。

その時のVALOには遥か太古の森や湖を越えて吹き渡る
スカンジナビアの風が届いていたのではないだろうか。
その風に乗ってやってきた森の精霊や妖精が、僕達に魔法をかけていったに違いない。
もちろん北欧の逸品達が一堂に会した空間には、それらを生みだしたデザイナーや
マイスター達の芸術的なパワーが満ち溢れていた。
それら2つの力は僕達に速やかに作用した。
僕達にとってのJ-49との「いつの日か」は、比較的早く訪れてしまったのである。

秋が終わりを告げる頃、2脚のJ-49が我家にやってきた。
それはまさしく人と人との温かな心の通いあい
とりまく事象の素晴らしき巡り合わせがもたらしてくれた
「小さな幸せ」と言えるものであった。

本当に大切なモノ事というのはいつもそっとやって来る。
それが必要である時に。

僕は今この原稿をJ-49に座って書いている。

明日は雪になりそうだ。
凛とした夜の冷気が足元から這い上がってくる。
予報によると今年の冬は寒い冬になるらしい。

凍える夜、素顔のままのぬくもりの椅子は、ほんのりと暖かく僕を包み込んだ。

その時僕は、
モーエンセンの優しさを、確かに受け取った。
そんな気がしたのだった。
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by cafevalo | 2013-12-11 23:45 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)
スベアを手に入れてからというもの、いつも彼と一緒に旅に出た。

早春、残雪の白、芽吹きの緑、青い空のコントラストから始まる日本の四季。
盛夏の信州、夕立から逃げるように駆け抜けたビーナスライン。
初秋の北海道、熊の恐怖に怯え朝までラジオが消せなかった日高の山上湖畔。
日本の原風景を探しに訪れた紅葉の陸奥、津軽・竜飛の岬に咲く波の花に
厳冬の始まりを見た。
沖縄のビーチ、冷えたオリオンビールの横で真っ赤になってお湯を沸かしていたスベア。
遠く海を渡り、カナディアン・ウィルダネス、鮭・鱒達の溯る大河のほとり、
BIGサイズのビーフシチュー缶を重そうに載せて必死で温めていたスベア・・・。

その土地その土地の、新鮮な空気をジェネレーターからいっぱいに吸い込み、
変わらぬ燃焼音と青い炎を燃え上がらせながら、スベアは力強く時に優しく
僕の旅を支えてくれた。

さて、コーヒーでも淹れるか。
ウォーターボトルの水をケトルに入れてスタンバイ。
今日一日の旅を終え、焚火の火を見ながらスベアに火を入れる。
薪がパンッと爆ぜ、火の粉が小さく漆黒の闇に舞う。
ジェネレーター下部の窪みにメタをセットし火を点ける。しばしプレヒート。
「そろそろかな」
バルブをゆっくり開けるとシューとスベアの息づかいが聞こえた。
ジェネレーターが温められガソリンが気化している音である。
燃えさかる焚火から一本の枝を取り、バーナーヘッドに近づけると、
ボッと小さく唸りながら炎を燃え上がらせた。
ボッボボッボッ。
初めのうちは不安定なビートを刻んでいたスベアも
ボディ全体が温まるにつれ気化は更に安定し、音が高音に変化していく。
ゴォーー。
スベアは上機嫌でドライブしているようだ。
青い炎がとても美しい。
夜のしじまに頼もしい燃焼音が響きわたる。
程なくしてケトルが白い湯気を立て始めた。

バルブを閉じると恐ろしいくらいの静寂が訪れた。
チッチッチッ。
ボディの冷却音を聞きながら、ゆっくりとコーヒーを淹れ始める。
それまでさほど気にしていなかった夜の闇と静寂が、スベアのバルブを閉じたその刹那
恐怖という名のマントを広げ僕を包み込んだ。
「・・・本当の夜だな」
温かなコーヒーを一口飲むと、いくらか気持ちも落ちついた。

大自然の中では、人はとても小さく弱い存在である。
焚火とスベアのある「この場所」から一歩森の中に踏み込めば
野生が絶対的な存在としてあり、僕との間には決して侵してはならない境界線がある。
その向こう側、暗い森の奥の世界は、僕がどんなに目を凝らしても
見ることができない領域なのである。
しかし、野生は僕の事をしっかりと見ている。
僕が何か悪さでもしようものなら、牙を剥いて襲いかからんばかりに。
自然とは、野生とは実にそういうものなのだ。
自然はいつでも人間と一定の距離を保とうとする。
そのルールを犯し領域に入り込み傲慢に振るまうのは、いつも人間の方である。

「大自然と対峙する時、人はいつでも謙虚でなければならない。
なぜなら人はそのほんの一部に過ぎないからだ」

スベアと共に超えてきたいくつもの夜が、それを僕に教えてくれた。

「ガサッ!?」
暗い森の奥で何かが動いた様な音がした。
耳を澄まし夜の中に入っていく。
「フゥー」
深く呼吸をして夜の森を体中にいきわたらせる。
パンッパンッ、薪がひときわ大きく爆ぜた。

「もう一杯、飲むか」
気持ちを落ち着かせるようにストレーナーをセットし、お湯を沸かす準備をする。
コーヒーのせいにすればもう少しスベアと話をすることが出来るからだ。
ちょっぴり怖がりの僕は、そんな風にいくつもの夜を超えてきた。
頼もしい燃焼音を聞いていると、僕は心地良い安堵感に包まれ、
夜を愉しむ事が出来たような気がする。
そう、スベアはいつもそばにいて、旅だけでなく、
僕自身をも支えてくれていたのかもしれない。

ここのところ星の下で眠ることもすっかりなくなった。
スベアはギアコンテナの中にしまい込んだままになって久しい。
なるほど彼が不機嫌なのも頷ける。

もう少し秋が深くなったら、一緒に出かけてみるのもいい。
冷たくなってきた空気をジェネレーターからいっぱいに吸い込んで
きっと彼は青く美しい炎の花を咲かせてくれるにちがいない。

燃えるような秋の森の中、久しぶりにゆっくりと話をしよう。
あの頃のように、コーヒーでも飲みながら。

「僕は今、君と初めて出会った信州で、小さな喫茶店をやってるんだ・・・」

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by cafevalo | 2012-10-24 22:57 | モノ物語り | Trackback | Comments(2)
          久しぶりにケースから取り出すと
          それは、ブラスゴールドのボディを鈍く輝かせながら
          不機嫌そうにこう呟いた(ような気がした)

          「随分とご無沙汰だったじゃねーか」
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          スウェーデン オプティマス社製 キャンプストーブ 
          SVEA 123R クライマー(以下スベア)

          どうもSVEAとは、古のスカンディナビアのヴァイキング
          スベア民族のことらしい。
          SWEDENという国名は「スベア民族の」という意味なのだそうだ。
          その名を冠したストーブは正に民族の誇りと伝統の結晶。
          1800年代に生まれ今も現役のロング&ベストセラーストーブなのである。
          このシンプルでリトルジャイアントなストーブとの出会いは
          高校1年の夏にまでさかのぼる。

          毎年夏になると、休みを利用して行われる恒例行事「夏の林間学校」
          ちょうど僕らの年度は信州は蓼科・八ヶ岳周辺を舞台に
          三泊四日の日程で行われた。
          そのメインイベント(…)である北八ヶ岳連峰、東天狗岳登山。
          懐かしい諏訪バスに揺られ、R299麦草峠は白駒池あたりからの
          入山ルートだったと記憶している。
          ペラッペラの体育用ジャージ上下とバレーボールシューズ!?
          透明ビニール合羽という今では考えられないような超軽装備での登山
          やっとの思いで登頂を果たし、山頂で昼食休憩をしていた時の事。
          プライベート山行のお姉さん二人組(今風に言えば山ガールね)に
          淹れたてのコーヒーをご馳走になった。
          その時、彼女達が使っていたストーブがこのスベアだったのである。

          「なかなか味のあるストーブだなぁ」
          僕はスベアの何ともクラシカルな存在感に魅きつけられた。
          当時僕は、イギリスのEPIというブランドのGASストーブを愛用していた。
          ブタンガスのカートリッジ缶を取り付けて使うタイプのストーブである。
          このタイプのストーブは、点火が簡単で火力の微調整もしっかりできる。
          メンテナンスもほぼフリーなので、初心者のエントリーストーブとしては
          最適なのだが、デザイン・機能美といった点では若干物足りない
          更に使い終わったあとの空のカートリッジが、ゴミとなってしまうのも
          マイナスである。
          そんな訳で、GASに替わる燃料のストーブに関しては
          少々気にはなっていたのである。
          (最近は、メーカーがカートリッジの責任回収を行い
          リサイクルに努めている。登山用品店やアウトドアショップに回収箱が
          設置されているので空カートリッジはそこに持って行ってほしい)

          スベアはその小さなボディーに似合わない
          ゴォーという燃焼音を奏でていた。
          バーナーヘッドから立ちのぼる四片のブルーフレイムは、
          あたかも、頂きの風の中、健気にしかも力強く咲き誇る
          美しき青き山嶺の野花のようであった。
          その時スベアは正にストーブのあるべき姿で
          誇り高くそこにあったのである。

          そんな出会いから月日は流れ、ティーンを卒業しようという頃。
          僕はあるものに夢中になっていた。
          オートバイである。
          厳密には「オートバイで旅をすること」オートバイツーリングに。

          リアシートに旅のための衣食住をコンパクトにパッキングし
          オートバイと共に旅に出る、それは風まかせの気儘な旅。
          右手でスロットルを開け、左足で小刻みにシフトアップしていくと
          僕とオートバイは美しき日本の風景の中へと旅立って行った。
          移りゆく日本の自然を全身で感じながら、風に吹かれ、匂いをかぎ
          人とふれあい、食に舌鼓を打つ。
          日が昇ると走り、沈むと眠る。
          ロードマップを頼りに今宵のキャンプ地を決め、テントを張る。
          焚火の火が落ち着くと一日の終わり。今日の旅に祝杯をあげるのだ。
          明日はどんなシーンが僕を待っているのだろう。
          そう、オートバイの旅は決して日常を引きずらない
          自由な旅なのである。

          僕の旅は専らロングツーリング、しかも野宿というスタイルであった。
          当然自炊をしながらの旅となる。
          お湯を沸かしてコーヒーを淹れたり、調理をしたりするのに
          キャンプストーブは必要不可欠。
          もちろん焚火も使うけれどいつもというわけにはいかない。
          どしゃぶりの雨の夜もある。
          そもそも焚火は自然へのインパクトが大きい行為なので
          場所を見極める必要もあるからだ。
          果たしてオートバイツーリング用のストーブはどんなタイプが
          適しているのか?
          ポイントは燃料である。
          長い時には一ヶ月以上も旅を続けることもあるスタイルでは
          途中での燃料調達が容易でなければならない。
          先述したGASストーブであると、取り扱いが楽である反面
          予備のカートリッジを日程相当キャリーする事は非現実的。
          当時は、専門店でしか販売されていないことが多く
          旅先でこまめに補充することも困難であった。
          となるといつも手元にある燃料が使用できるものがベストとなる。
          つまりオートバイのガソリンが使えることが合理的な訳である。
          スタンドでの給油時に、チョイとストーブ用の燃料ボトルに補給。
          不測の事態にはオートバイの燃料パイプから直接もらう事も可能である。
          実際僕もそうやって何度か救われた。
          キャンプ用のガソリンストーブの多くは
          精製度の高いホワイトガソリン(白ガス)を使うタイプで
          燃焼性が良く煤もほとんど出ない。
          自動車用のレギュラーガソリン(赤ガス)をそれらに使うと
          匂いや多量の煤が発生して、ジェネレーター(気化筒)が詰まり
          トラブルを起こすケースが多かった。
          このスベアは、一応ホワイトガソリン専用であるけれど
          構造がシンプルなので、レギュラーを使って調子が悪くなった場合でも
          その場で分解掃除をして、復活させることが可能と独自で判断
          (注:あくまでも独自に!ですからね)
          点火には固形燃料を使い、タンク内の圧力を高め強制的に気化させる
          プレヒートが必要だけれど、それも慣れれば気になる程の事ではない。
          そんな理由で僕が選んだストーブがこのスベアだったのである。


                     part 2 へ続く。
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by cafevalo | 2012-10-12 23:08 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)
当時の職場に時々来店して頂いていたお客様に、中国系アメリカ人のドクター
(医師か博士か忘れてしまったが)の方がいた。
いつもアウトドア用品を購入したり、注文したりとお得意様的であったのだが、
この方日本語が全く話せない。
イングリッシュオンリーである上に、彼はとてもセンシティブで
アイテムに関しての質問がマニアック且つ非常に細かいのだ。
正直とても大変な接客で、彼が帰るとドッと疲れが出てしまう程パワーを使っていた。
ある日、いつものように接客を終えホッとしていると、彼が小さな箱を差し出し
「君にプレゼントだ!」と言う。
聞くと年に一回はアメリカに帰国しているらしく、そのお土産のようだ。
箱を開けるとそこには一本のペンが・・・
何とパーカーのローラーボールではないか!!
いつも懸命に(笑)拙い英語で接客してくれる僕への、感謝の気持ちだと言うのだ。
心のこもったありがたいプレゼントは翌年も続き、僕は二本のローラーボールを戴いた。
その後程なくして、僕は長野に来てしまったので、彼に挨拶することなく
別れてしまった事が、今でも少し心残りではある。
只そのローラーボール、ブルーとレッドで彩られたSTARS&STRIPES(星条旗)が
デザインされており、彼の愛するアメリカをあまりにもストレートに表現した
モデルだったので、僕はちょっぴり気が引けてしまったのだった(笑)

そんなストーリーもあったりして、僕はすっかりパーカーがお気に入りになってしまった。

僕は筆圧が高くボディをしっかり持って字を書くタイプである。
太いボディを軽く持って、サラサラと走らせるように書くことがなかなか出来ない。
細いボディだと更に力を入れて持ってしまうので、とても疲れてしまう。
色々と試し書きをした中で、ボディの太さ、ホールド感、ウェイトなどの
トータルバランス、さらに質感もパーカーのモデル「ソネット」との相性がとても良かった。
加えてこの価格帯にしては18Kのニブが奢られていて、コストパフォーマンスも高い。
適度な柔らかさを持つそれは、優しくしなり筆圧を良い具合に往なしてくれたのである。
海外ブランドは国産よりも線が太く出るので、細字のFが僕の欲しい線を
軽やかに生み出した。

実を言うとこのモノ物語り、紙に下書きをして推敲をくりかえし、最終的に原稿におこし
更に校正したのちにPCに取り込んでいる。
数々の推敲でぐちゃぐちゃになった用紙を見てふと思う事がある。
「僕は文字をもって絵を描いているのではないだろうか?」と。
なるほどそういう思いで見てみると、文面というよりは抽象絵画のように見えなくもない。
以前僕の書の作品を見た書道の先生が「絵を描くように書いているね」と
評した事があった。
僕にとってこのモノ物語りを書く事は、過去・現在・未来の自分自身と真摯に向き合い
自らを内観していく行為でもある。
無意識下で文字に図形的な要素を見いだし、絵画的に表現していく。
そこに唯一、石怪獣ゴーゴンを描いていたあの頃の僕が存在しているのかもしれない。

さて、第二章の始まりとも言えるVOL 11からのモノ物語り。
下書きには万年筆「ソネット」を使っている事だろう。
因みにソネット(SONNET)とは近世ヨーロッパはイタリアで生まれた
14行からなる小押韻詩型の事。
かのウィリアム・シェイクスピアはこのソネットを駆使し150篇以上もの作品を
残したと言われている。
その名を冠したパーカーの筆記具。書くのがとても楽しみである。

僕の現在(今)から紡ぎ出された言葉の数々が、パーカーをして文字となり描かれた時
さらなる高みへと向かうためのガイドマップに、新たなるルートが加えられるだろう。

そう、パーカーのアイコンである矢羽(アロー)には
“AIM HIGH-目標を高く掲げ、求め、達成する”
というブランドコンセプトが込められている。

未来の自分が立つべき処へ矢羽が真っすぐ届くように、今日も僕はペンを走らせる。
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by cafevalo | 2012-03-03 22:51 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)
世の母親の多くはそういうものなのだろう、息子の僕が子供の頃に描いた絵を
彼女は大切にスクラップし保存していた。
妻と結婚した頃、実家に帰省した折偶然見つけたそれには
幼き日の僕の力作である、空想の怪獣達が描かれていた。
“石怪獣ゴーゴン、口から石と火を吹く”・・・らしい。
茶色のクレヨンを使い、のびのびと自由に描かれたその絵を見た妻から
「なかなかイイ絵ネ」と、お褒めの言葉を頂いた。
高校時代は美術部に在籍し、油絵を嗜む彼女にそう評価された僕の絵。
しかし、である。
今の僕は絵がからっきしダメなのだ。
僕の絵の才能の芽は土からピョンと顔を出したのだが
その後どうもほったらかしであったようで、双葉にすらならぬうちに
枯れ果ててしまったのかもしれない(涙)
世のお父さん、お母さんよくよくここは注意して頂きたい!
愛する我が子の才能の種が発芽したならば、愛という名の水と肥料をしっかり与え
こう言い続けてほしい、「上手に出来たね!スゴイね!!」と。
偉大なる芸術家は、あなた方のほんの小さな愛で生まれるものなのである。
そんな訳で絵の才能を失った僕は(笑)「文字を書く」という表現方法に
シフトしたのかもしれない。
ここのところちょっぴり怠けていてマズイなと思っている「書」もそうであるし
このモノ物語りも書くことで表現しているわけだから。

さて、心優しき読者の皆様に支えられて
この度VOL 10の節目を迎える事ができたこのモノ物語り。
その記念すべきイシューに相応しいアイテムとしてピックアップしたのは
字を書くモノ=筆記具である。
少し前になるが、ツイッターで何気にこう呟いた。
「VOL 10を書き終えたら、パーカーの万年筆を一本買う」と。
万年筆と言えば中学入学の時に叔父にお祝いとして戴いたプラチナ萬年筆のものを
今でも大切に持っているし、あのモンブランのマイスターシュテックも素晴らしいとは思う
(まだまだ似合わないけど)
でも何故かパーカーの万年筆が好きなのである。
1888年 ジョージ・サッフォード・パーカーによりアメリカで創業されたパーカー社。
翌年にはペンの製造を本格的に開始する。
1894年 万年筆のインク漏れを劇的に解消した「ラッキーカーブ」機構を搭載した
万年筆を世に送り出したのを機に、パーカーの名は広く知られることとなる。
1900年代なるとデュオフォールド、パーカー51といった万年筆の名品や
ロングセラーとなるペン、ジョッターシリーズなどを次々と生み出し
“The world’s most wanted pen 世界で最も愛されるペン”
と称賛されるメーカーとなった。
かのアーネスト“パパ”ヘミングウェイやシャーロック・ホームズのコナン・ドイルなど
著名な作家達も愛用していたといわれている。
更にその伝統と信頼を認められ、ロイヤルワラント(英国王室御用達)を取得。
エリザベスⅡ世女王とプリンスオブウェールズ(チャールズ皇太子)
二つのアームス(紋章)を掲げる筆記具メーカーとなっている。
僕が何故パーカーに魅かれるのか?これだという理由は見つからない。
おそらく子供の頃、親父のデスクのペン立てにパーカーの
筆記具があったのではないだろうか。
ジョッターあたりのボールペンか何かだと思う。
あのアロークリップ(矢羽)のペンが、微かな記憶として僕の中に残っているのだ。
人々が愛してやまないパーカーのアローは海を越え僕の家にも飛んで来ていた。
それ程パーカーは世界の人々の生活の中に浸透していたに違いない。
視覚的に刷り込まれたパーカーの記憶は僕の中で長い冬眠に入る。
そして春は2000年 ミレニアムの幕開けとともに訪れた。

当時暮らしていた自宅から車でほど良い距離に某有名デパートがあり
休日には時々出掛けていた。百貨店世代だからデパートは大好きなのである。
行くと決まってステーショナリーコーナーに立ち寄り世界の逸品達の試し書きをしていた。
モンブラン・ペリカン・ウォーターマン・カランダッシュetc まさに至福のひと時。
ちょうどその日もいつものように筆記具のショーケースに向かった。
ふとケースの上を見ると、何やら専用のディスプレー台に並ぶ限定品らしきペンが・・・
「んっ、パーカーか?」
そこにはミレニアム限定のSTDタイプのローラーボール(ペン)があった。
’99年に発売されたらしいそれは、世界地図と主要都市が描かれ
キャップのアローをGreenwichに合わせると、世紀の幕開けの時刻を知ることができるよう
デザインされたGMT仕様のものだった。
2000年ミレニアムイヤーにロンドン グリニッヂ天文台で行われるイベント
GREENWICH MERIDIAN 2000の公式筆記具に認定されていたパーカー社は
いくつかの限定モデルを99年に発売したようだ。
そのペンが気に入った僕は迷わず購入した。
ミレニアムイヤーに出会ったアロークリップのパーカー。
雪解けの水は、小さな流れをつくり始めた。
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そのペンを手に入れてから間もなく、
シンクロニシテイとも言えるパーカーストーリーがもう一つ生まれた・・・。

つづく。
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by cafevalo | 2012-03-02 22:36 | モノ物語り | Trackback | Comments(2)
今までそれ程関心のなかったものが、急に心に引っ掛かり始め、とても気になり、
よくよく好きになってしまう事がある。
人はそれを“恋に落ちる”と言うのだが、これは何も人に限った事ではなく
モノ事にだって当然当てはまる。
その最たるものが車ではないだろうか。

僕は車が好きな方である。
ただ、車遍歴がスゴイ!とか、旧車好きですっとか、レースに出たり
チューンを楽しむといったようなディープなエンスージアストではなく
車好きのお客様がいらっしゃると話が盛り上がってしまい、つい手が止まってしまう(笑)
その程度だけど・・・。
実を言うと、少し以前スウェーデンの名車「サーブ」の9-3というモデルを
本気で購入しようと考えていた頃があった。
この誇り高き北欧のマイノリティはそもそも軍用の航空機を製造するメーカーが
第二次大戦後の多様化の波に乗るべく選りすぐりのエンジニアを集め、
自動車の製造を目指し生まれた部門であった。
サーブ(SAAB)とはSvenska Aeroplan Aktiebolagetの頭文字をとったもので
スウェーデン航空機会社という意味となる。
このAeroplanをAutomobileとし自動車会社はスタートした。

さて、このサーブ社、量産車で世界初のターボエンジンを使ったり
衝突時、乗員の首を保護するヘッドレストの重要性にいち早く着目し
むち打ち症状を軽減するアクティブヘッドレストを開発。
今でこそポピュラーなシートヒーターやアレルギー対応のエアフィルターなどを
世界に先駆け装備、更に本国で年間6000件以上にものぼる大鹿(エルク)との
上部正面衝突を想定したエルクテストに代表される独自のクラッシュテストを行い
安全性を追求し続けてきた先進技術のパイオニアメーカーなのである。
加えて僕は、この車に北欧デザインの粋と良心そして
「大地をゆくヒコーキ」の勇姿を見出した。

サーブと聞いて真っ先にその姿を思い浮かべるのは'78にデビューした
900ターボではないだろうか。
'80年代、米国ではヤッピー達の成功の証として、我が国では“空”つながりだろうか
航空関係のキャリア志向の女性達にカブリオレタイプが人気を呼んだ。
芸能人のユーザーも多かったと記憶している。サーブユーザーはアッパーミドルクラスのユーザーが多いというサーブ社のデータがあるらしい。
それはさておき「ああ あのバスタブみたいな車ね」
車好きの人であれば即座にそう答えが返って来る。
そうでない人も実車を見れば「これがサーブねぇ、知ってる知ってる」と判るはずである。
それ程この車のデザインは異質であるからだ。
僕自身この900ターボの印象はというと“変な車”であった。
そのスタイルはスカンジナビアの清々しい空気感とはとても隔たりがあるものだと
ずっと感じていたのだ。

その時までは・・・。

この仕事を始める前、地元でサラリーマンをしていた頃勤務先の上司の愛車が
この900ターボだった。
「あえてサーブを選んだのか・・・」その程度にしか思っていなかったのだが
幾度となく実車を見ているうちに何か今までと違う感覚を憶え始めた。
その時は判らなかったが、今にして思うとそれがサーブ流のデザイン力が生み出す
ポジティブな違和感、マン・マシンインターフェースの妙であったのかもしれない。
知らず知らずのうちに僕は森と湖沼を越えて吹き渡るスカンジナビアンブリーズを
五感で感じていたのだろう。
そしてある日、所用で上司ご夫妻と出掛ける事となり妻と二人でこの車に乗る機会に恵まれた。
初めて乗るサーブ、少し興奮気味にリアシートに着座した。
「意外と狭いな、5ナンバーだからか・・」しかし上質なレザーシートは適度な硬さを持ち
身体をあずけられる。ドアを閉めるとカチャ、ブォッという気密性の高そうな音。
ドイツ車のそれとも違う、例えるなら大型のプレハブ冷蔵庫や製氷機のレバーハンドル式ドアを閉めた感じと似ている。厳寒の国の車らしい安心感を感じた。
走り始めると回転の上昇と共にターボが効いていく
「これがサーブの低圧ターボか、けっこう速いな」流石ターボの扱いが上手い。
実はサーブ、ヨーロッパなどではパワーチューンを施し、最速アタックをするような
いわゆる走り屋の車なのだ。
ドライバーエリアに目をやると各種計器類がドライバーを中心として取り囲むように
配置されており航空機のコクピットのようである。
スイッチ類はグローブをしたままでも操作可能なように大きくデザインされている。
厳寒のスウェーデンならではである。
きつく立ち上がったフロントシールド越しの前方視界はとてもクリア
正にプロペラ機の有視界飛行を彷彿とさせる。

「サーブ、なかなかイイじゃん!!」

その日の出来事が僕がサーブに恋をしてしまうきっかけとなったのである。

でも僕は今サーブには乗っていない。所有したいという気持ちも少し落ち着いている。
事実、プラグマティックに考えれば故障やトラブルがとても多く
維持していくのに莫大なコストが掛かるということがあるにはあるのだが
どうも僕はサーブの物質的価値よりも精神的価値に
幸福感を得ていたのではないだろうか。
街でサーブとすれ違うたびに心がときめいた。
雑誌やカタログを見てドライビングしている自分をイメージしてうっとりした。
関連したWebサイトや口コミサイトをくまなく閲覧した。
僕はバーチャルなユーザーとなり共感し、感動した。
空想の中でサーブを所有しドライビングプレジャー、デザインと先進技術そして
Hapinessを享受していた。
僕にとってサーブはそんな車であったのだ。
この頃「この車は僕の人生の何か重要なエレメンツの一つなのではないか」
ふと、そう考える時がある。

いつに日かまた、あの清々しいスカンジナビアの風が
僕の頬をなでることがあるかもしれない。
その時は老練なパイロットとなりこの「大地をゆくヒコーキ」のステアリングを
駆ってみたいと思う。

美しくテイクオフが出来るかどうか、それは、これからの僕の生き方に掛かっている。

「大きくなったら何になりたいの?」 「パイロットぉー」

続きはコーヒーでも飲みながらゆっくりお話いたしましょ。
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by cafevalo | 2012-01-26 13:23 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)

VOL 8  永遠なる梓水

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アメリカ ブローニング社製 
silaflex(グラスファイバー)スピニングロッド
フランス ミッチェル社製  
#408スピニングリール

たしか中学2年生くらいだったと思う。
親父にねだって買ってもらった、記念すべき初の渓流用の
ルアーロッドとリールである。
小学生の頃から親父の趣味である鮎釣りにくっついて
あの名河川長良川によく釣りに行っていた。
 「明日、長良に行くぞっ!」そう言われると、
興奮して前の晩はあまり眠れない。
それなのに朝早く起こされる。
寝ぼけ眼のチビが車に揺られての釣行である(笑)

そう、僕のアウトドアアクティヴィティの原体験は正にこれである。
家から飛び出し、山や川で遊ぶ。食事を作り食べ、星の下で眠る。
いわゆるキャンプ場ではないフィールドでの衣食住体験は
今の僕を形成するのに多大なる影響を与えてくれた。

“父親は、子供が初めて出会う社会”と言われる。
それは社会性を学ぶという事にもつながるのかもしれない。
なるほど、幼い僕に遠く離れた未知なる世界を見聞させてくれたのは
いつも親父だったような気がする。

中学生になりルアーフィッシングの面白さに目覚めた僕は、
清流長良川でもそれを試してみたくなった。
釣り雑誌を読みあさり、一夜漬け程度の川のルアーフィッシングの
知識を手に入れた。
そして出会ってしまったのが、このミッチェルのリールなのである。
性能や自身のフィッシングスタイル、対象魚、フィールドといった
重要な部分は何処かに吹っ飛び、そのクラシカルなデザイン
醸し出すヨーロッパの雰囲気にすっかり魅了されてしまった。
親父と一緒に釣り道具屋に行き念願のミッチェルを手にした。
後はこのリールに合うロッドとなるのだが、
ここでも同様にリールの持つ雰囲気をスポイルしないマッチングを
基準に選んでしまった。
それがブローニングのロッドなのである(何故かこちらはアメリカ製)
只、今にして思うとなかなかの審美眼であったなと
自画自賛したくなるような何とも洒落たセレクトではないか!(笑)

「昔の梓川はアマゴや岩魚がたくさん釣れたんだぞ!」
僕がこの地にVALOを開くと話した時、得意気にそう言って笑った親父。
その時の笑顔を僕は決して忘れない。
我が心の梓川に若かりし頃の親父も釣りに来ていたと知って
僕はちょっぴり嬉しくなった。
同時に僕が梓川に何故魅かれるのか
その理由がわかったような気もした。

来シーズンからは時々このタックルで出掛けてみようと思う。
谷を渡る川風に吹かれ、梓水の瀬音、鳥達の歌声に耳を傾ける。
魚達のダンスを見、野花の色彩に心躍り、木々の匂いに心鎮める。
躍動する自然の営みを感じながら、のんびり、穏やかに
親父と一緒に釣りをする。
そんな一日にしよう。

梓川の流れある限り、これからも僕はそうやって親父と一緒に
釣りをする事ができる。
ありがとう、梓川。それはとても、とても幸せな事なんだ。
梓の水と共に、親父はいつも僕の心の川を流れている。

ケショウヤナギが芽吹き、河原に緑の素描画が描かれると
川は春の息吹に満たされる。

どれ、釣りに行くか。
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by cafevalo | 2011-11-29 22:33 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)

  信州は松本市梓川    CAFEVALO     日々諸事あれこれ


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