VOL 15  ポプラは、風と友達のやさしい木に違いない

僕が生まれ育った町には、全長100m程のポプラ並木の通りがあった。
他にもケヤキやクスノキ、プラタナスやヤナギなど
街路樹が植えられた通りがいくつもあったのだが
僕はポプラの通りがいちばん好きだった。
そのポプラはイタリアンポプラで、空高く聳え立つ樹形はとても大陸的な感じがした。
少年の僕は、ポプラの並木通りを歩きながら
まだ見ぬ遠い異国の風景を、夢想するのが好きだった。

春、ポプラは花の時期を終えると、ふんわりとした綿毛を作り種子をつける。
それを風にのせて遠くまで飛ばすのだ。
アメリカではコットンウッドと呼ばれるように
その季節ポプラ通りは白い綿毛で埋めつくされる。

夏休みになると、しばしばポプラ通りに昆虫観察(採集)に出かけた。
早朝にはセミの羽化をよく見ることができた。
大木のポプラはセミ達のお気に入りなのだ。
夜は、通りの街灯に集まるコガネムシなどの甲虫を採集した。
時々、クワガタやカブトもやってきて、うれしい夜もあった。
主役から脇役、成虫から幼虫まで様々な虫達が、ポプラの恩恵を受け生きていた。
ポプラ通りは、昆虫好きの僕にはうってつけの場所だった。

紅葉の季節、通りは見事なまでの黄金色に染まる。
夏の喧騒が去った並木道は、冬に備えちょっと一休みしている。
高く青い空、流れゆく白い雲、風に吹かれるポプラの黄金色の葉。
秋のひと日、その三位一体をぼんやりと見ているのが好きだった。

ポプラの木の仲間は、葉が風を受けるとパタパタとさやめき
互いに触れ合って音を出す。
ポプラの学名であるPopulusは「震える」という意味だそうだ。
北アメリカではアスペン、日本だとヤマナラシの木がそうである。
ザザ~、パタパタパタ。
一陣の風が並木や森を吹き抜けると、あたかもそこに何かがいるような
大きな声(音)が聞こえる。
なるほど、ヤマナラシは漢字だと「山鳴らし」と書くのもうなずける。
一人で森を歩いていたりすると、正直ちょっと怖い時もある。
でも、僕はその音が風の声に聞こえてならない。
ポプラの葉をして、風が何かを語りかけているような気がするのだ。

♪君が涙の時には、僕はポプラの枝になる。
                1994 空と君のあいだに 中島みゆき

昔大ヒットしたTVドラマ、「家なき子」の主題歌として書かれたこの曲。
歌詞はドラマストーリーに即し、主人公とその愛犬をモチーフにしている。
多くの人は、サビ部分に気持ちが入っていくかもしれないけれど
ポプラ好きの僕は、最初のこのフレーズがグッと刺さってしまったのだ。
―ポプラの枝になる―ん~スバラシイ!北海道出身の彼女だからこそのリリック。
ポプラの木がとても身近であるのはもちろんだけど、
流石みゆきネエサンっ、風とポプラの関係性をよくご存じ!と思えてならない。
彼女自身も、風にさやめくポプラの葉音に、辛いことや悲しいことを
かき消してもらったことがあったのかも?なぁんて思ってみたりした。
きっと彼女もポプラの木が好きなのだろう。

今年も、梓川での漁期が幕をあけた。
梓川の川岸には、大木から小さな若木まで、様々なポプラの木が自生している。
新緑の頃になると、ポプラは白い綿毛を風にのせ、いっせいに飛ばす。
川面を無数のコットンパフが漂い流れていくさまは、とても優雅で美しい。
釣りをしながら川岸を行くと、時々それは見事な一本に出合う時がある。
そんな時僕は立ちどまり、そっとポプラに触れてみる。
そして、風にさやめく葉音を通し聞こえくる、風の声に耳を傾ける。

―ポプラは、風と友達のやさしい木に違いない。

遠いあの日に感じたこの想いは、今も変わることなく
僕の心の中にたしかにあるのだった。

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オリジナルは若干アップテンポなので
今回はシットリ聴かせる絢香のカバーをどうぞ^^








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by cafevalo | 2016-04-21 19:30 | モノ物語り | Trackback | Comments(0)

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